30代バツイチ☆サラリーマンが本気で海外移住を目指してみた件

フツーのサラリーマンが夢の達成に向けて成長していくドキュメンタリー(予定)

海外移住を目指すに至った経緯

 

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オリーブの木


おはようございます

 

トラです。

 

「30代バツイチ☆サラリーマンが本気で海外移住を目指してみた件」

 

という変なタイトルのブログをはじめてみました。

 

今回は「僕が海外移住を目指す理由について」僕の自己紹介を兼ねて書いてみようとおもいます。

2500文字と少し長いですが、 よろしくお願いいたします。

 

 

 

6年前

タイトルにもある通り、僕は6年前に離婚を経験しています。

九州の田舎町から、就職を機に関西へ移住。

職場恋愛で1年ほどで結婚し、男の子を2人授かりました。

その後、2人の関係は徐々に悪化していき、5年で離婚となりました。

関西に身寄りのない僕。親権は当然母方に。

当時子どもは4歳と2歳でした。

 

子どもらとの関係は今でもの良好で、月に1度の面会を楽しく過ごしています。

 

あっという間に大きくなり、今では小学校4年生と2年生になりました。

元気いっぱい成長する姿をたくましく感じています。

 

でも離婚した当初は、とても寂しく孤独を感じていました。

久しぶりのワンルーム生活。友達なんて1人も近くにおらず、月に1度の面会だけが楽しみ。

残りの休日はすることもなく朝から1人で酒を飲み続ける、そんな暗い20代後半の日々が1年ほど続きました。

 

目標も希望もない日々、悶々と思考は巡ります。

「このまま腐った生活を続けていていいのだろうか」

「将来の自分はどうなってしまうのか」

 

そんな暗い考えから徐々に

「本当は子どもらに対して、恥ずかしくないような生き方をしたい」 

「むしろ可能なら子どもらが自慢できるような立派な父親になりたい」

日を重ねるごとに次第に前向きな希望も見え隠れしてきました。

 

どのみち子供らと普段離れて暮らしている分、僕が直接与えられる影響なんてほんのわずかしかない。

その代わり、将来子どもらが大人になったときに精神的・経済的に支えられる父になればいい。

今の自堕落な生活の先に、明るい未来は存在しない。

そう気づいていきます。

 

そしてもう一つは

「子どもらは、いづれ大人になる」ということ。

これは当たり前のことですが親の立場からすると嬉しくもあり悲しくもあり。

 

小学校高学年や中学生にもなると、きっと今みたいに月に1度親父と会ってくれることもなくなるだろう。

いまのように遊べる日々も終りが来る。

子どもらと月に1度会えなくとも、「俺は俺で楽しいぜ」って胸張れる父親でいたい。

 

 離婚後1年近く経って、徐々に外の世界へ向けて行動を開始していくことになります。

 

6年間

離婚から6年間、僕はいろんなことにチャレンジしてきました。

大学を卒業してから就職・恋愛・結婚と間がなかったため、社会人になってからの遊びや勉強をほとんどしてきませんでした。

なので思いつく端から、誘われるに従い、いろんなことをしてきました。

 

登山やキャンプ等の趣味の追求。

ヒッチハイクで日本縦断。

国内・海外旅行。

婚活パーティー、街コン、合コン。

仕事関係の勉強会に参加。

自己啓発、能力開発。

交流会への参加。

交流会の主催。

あやしいビジネスや宗教の話しを聞きに行ってみる。

NPO法人の設立に関わってみる。

株式や不動産についての勉強をする。

趣味の集まりに参加してみる。

節約の研究。

ひたすら本を読む。

多くのアートにふれる。

などなど。

 

「どうしたら幸せになれるか」

「これから30代、40代と歳を重ねる上で自分にとって必要なものはなにか」

「将来子どもがハーバード大学に進学すると言っても十分な仕送りが出来るようになるにはどうすべきか」

「どうしたらお金持ちになれるのか」

 

そんなことばかり考えて動き続けていました。

今振り返ると、遅れてやってきた「自分探し」の旅路なのかもしれません。

 

 

6年後

そんな中で大きく人生を変えた、2020年のコロナショック。 

緊急事態宣言に伴う、いつ終わるかわからない自宅待機の日々。

「外に出れない。人に会えない」

一念発起してからの数年間、毎日がむしゃらに動き続けてきた僕にとって初めての時間でした。

 3年前から使い出したiPhoneのスケジュールを改めて見返すと

予定のない日は月に1日あるかどうか。

なかなかハードスケジュールで生きてきていました。

 

 

コロナ渦で得られた時間を使い

ひたすら自分と向かい合い、考え続けました。

 

「本当の幸せとはなにか」

「本当にお金持ちになりたいのか」

「本当に望む人生の目的とはなにか」

「いったい自分は何のために生きるのか」

 

そうして出てきた膨大な量の考えや言葉たちを

切り詰めて、煮詰めて、削ぎ落としていった究極のエッセンスが

 

「幸せは、いまここにある。」

 

そんな、シンプルな一言に至ることができました。

 

 

緊急事態宣言が発令される前、しばらく自宅にこもることになると見越した僕は、ホームセンターに行きベランダで育てられる野菜や植物を購入しました。

 家にこもっていると気が滅入るだろうから、気持ちを癒やしてくれる植物があるといいだろう

そう考えてバジル・トマト・パセリ・バラ・オリーブの苗を購入しました。

 

それから日々、水をやり肥料をやり

多くの時間をベランダを眺め、本を読み思考し続けました。

 

そんななかで、ふと 

「この植物達がもっと豊かな緑で、このベランダから見えるコンクリートの道路が海だったら最高だなぁ」

自分の頭の中でカチっと歯車が合った音がしました。

 

30数年生きてきて、結婚して離婚して、何年間も模索してきた幸せのイメージ

風にゆれるオリーブの葉を見て気づきました。

 

衣食住が満ち足りた、今の生活は充分に幸せだ。

なんで今まで毎日朝から晩まで働いていたのだろう。

生きていくために必要最低限のお金があれば十分じゃないか。

毎朝通勤するのが常識だなんて誰がきめた。

支出を減らせば、少ない通勤日数でも行きていけるでないか。

そして通勤する必要のない仕事ができれば、自然豊かな島に移住できるのでないか。

節約して余ったお金をしっかり運用して、複利で子どもに残すお金は作れる。

大きく稼ぐのでなく、コツコツ堅実に資産を形成できる方法を実践していくべきでないか。

そう考えたのでした。

 

 

 

 

あと5年で下の子も中学生になります。

その頃には毎月父親と会うこともなく、夏休みとかに島に遊びにきてくれたら充分。

僕は僕で好きに暮らす。

そのための準備期間がまだ5年もある。

それまでに色々試してして、収入源を複数つくり、必要十分な暮らしをする準備ができる。

どうせなら海のキレイな島がいいな。

 

海外移住。海の外への移住。国内でも国外でも構わない。

海の見えるオリーブの揺れる島で、幸せを噛み締めて生きる生活。

 

ゴールのイメージは明確になった。

あとは手段・方法だけ。

「目標が決まれば、方法は無限大」

「思考は現実化する」

そんな言葉を信じて、今後の過程を発信していきます。

 

ではまた。